スコールが降る前に

趣味はミニマリスト本を読んで捨てモチベあげること。

10年目

東日本大震災から10年。 私は被災地から離れたところに住んでいるし、直接の知り合いで被災した方がいないので、メディアごしの情報しか知らない。

www3.nhk.or.jp

NHKのタイムラインプロジェクトは時系列で何がどうなったかを振り返ることができて興味深い。

あの震災の日、ちょうどインドに旅行に行っていので、東日本に住んでいたけれど地震には遭遇していない。帰宅難民にすらなっていない。

11日が帰国予定日で最終日の観光に行った。ランチ時にインド人ガイドが電話で席を外したあと、仙台は自宅に近いのかと聞いてきた。
そのときは意味が分からず、だいぶ遠いよ、いと回答しけど、今思うと地震の一報が入ったんだと思う。地震の情報が少なかったからなのか、残り少ない観光時間を満喫して欲しかったからなのか、今となっては分からないけど、その質問の意図は伝えられなかった。

デリーの空港に入り、チェックインしようとしたら、東京で大地震が起きたと告げられ、乗る予定のフライトはキャンセルになったと言われた。 それでふと見ると、日本の津波地震のニュースが繰り返しインドのニュースで流れ続けているのに気づいた。
そこからはだいぶパニック気味で、東京にいる家族に電話をかけるも繋がらず、リダイヤルを繰り返した。
何回目かで連絡がとれ、家族は無事だと聞いて落ち着いた。
Facebookできょうだいや友人、同僚とも連絡が取れた。そういえばあの頃はまだLINEなかったんだな。そう思うとびっくりだ。

しばらくするとアナウンスがあり、日本に飛ぶ予定のJALAir IndiaのうちJALは振替便が数時間遅れで決まっていた。けちってAir Indiaにしたので、成田から機体がきていないから飛べないと言われた。やっぱり有事の時のナショナルフラッグだなと痛感した。

いつ振替がスケジュールできるかわからないと言われても、今更空港外に出る元気もなく、建物内でインドでも大ニュースとして流れ続ける日本の様子を眺めて、スマホの充電しながらスマホで情報収集し続けていた。こんなに遠い国で、トップニュースで流され続けるなんて日本はどうなってしまうのだろうと恐ろしかった。

結局、数時間か遅れで香港経由の関空なら飛べることになり、追加料金なしで関空まで行くか、成田便を待ち続けるかの二択で、関空便に乗って帰国した。関空からは新大阪までバスで移動して東海道新幹線に乗った。今思うと動き出したばかりの新幹線だったんだろう。

そんな10年前の1日だった。
今、地震が起きない国に住んでいて、地震に対して、建物も暮らしも街も備えないとならないのは何て高コストなんだろうと思う。